本当に神は存在するのか

この世に神は存在するのでしょうか。それとも神は、存在すると思えば存在し,思わなければ存在しない・・・・・、という程度なのでしょうか。
 また、同じ神といっても、お地蔵さんの神から、神社の狛犬で、はたまた、天皇、アマテラスオオカミまで、神様もいろいろです。
古代ギリシャには何百という神々が祭られていたと、聖書にしるされています。
ここで世界中の神々を全部吟味するわけにはいきません。

 

これが神だ、と評価するには、その神よりも優れていなければできません。

 

 数年前にNHKの教育ラジオを聞いていた時のことです。教育ラジオなど普段は聞かないのですが、義理の姉のいる静岡県の病院を訪ねていったとき、この放送しか入らなかったので、よく覚えています。

 

 仏教大学の教授が仏像の特徴についてアナウサーと話していました。その時、信じられないことばが飛び出しました。アナウサーが仏像について教授に質間をした時、教授が

 

 「それは今だに謎なのです。『神のみぞ知る』ということですね」と言う様なことを話したのです。
 
 車を運転しながらラジオを聴いていたのですが「神のみぞ知る」ということぱはハッキリと覚えています。

 

 この教授に限らず日本人はよく「神のみぞ知る」「お天道様が見ている」などといいます。

 

子どもを授かったときにも「神様が与えてくださった」と神という言葉 を使います。
また、多くの方が大変な事態になった時、「神様助けて」と叫んだことがあると聞きます。
 
 この場合の「神様」は、全能・全知の創造主を意味し、お地蔵さん、神社の狛犬、奈良の大仏、アマテラスオオカミ、天皇とは違うと思います。

 

 私たちは美しい自然を見たとき、あるいは奇跡的な出来事にあった時、人知を超えた存在を考えているのではないでしょうか。
私たちは、心のどこかで創り主を信じているのではないでしょうか。

 

 聖書の示す神とはまさにこの全知全能の創り主なる神を意味しています。太陽をつくり、月、星、地球をつくられた創造主です。

 

 ですから聖書の神は、日本の神とか、西欧の神とか、インド、中国・・・・・などの国籍は関係ありません。
地球や星を創られた創造主であれば、国や民族、宗教は関係ないのではないでしょうか。同じひとつの神なのです。

 

 ところが、私たちはまじめに「神の存在」を話すとすると、「この科学の時代に何が神か」と嘲笑するのです。

 

 その一方で、全く科学的でない占いやおみくじに一喜一憂するのもおかしいのではないでしょうか。

 

 かくいう私も、聖書の神について、初めて聞いたときは驚きました。また、ひとつの神というから、クリスチャンはいつも戦争を起こしているんだ、とも思いました。(今は誤解だとわかりました)。

 

 多くの神々がいてもいいのではないか、という考えもあります。でも、一人の神しかいない、という考え方も、否定できないのではないでしょうか。

 

 他の人の信仰を否定することは正しくありません。でも、太陽や地球、星、を多くの神々が共同でつくったというのもはいかがなものでしょうか。

 

 また、何事にも初めがなければなりません。石ひとつでも誰かがはじめに創らなければ存在しないのではないでしょうか。地球があるということは、誰かが初めに造ったということです。

 

 ビッグバンによって宇宙ができたとしても、それでも初めに何かの塊がなけれぱならないでしょう。だれがその塊を備えたのでしょうか。

 

聖書は「初めに創造主が天と地を創造した」から始まります。

 

 私の時計はクオーツ式で非常に正確です。それでもひと月に十秒位は違っています。クオーツは人間の英知の結晶でしょう。

 

ところで、太陽の周りを地球が一年で一周しますが、誤差さえも計算できるそうです。

 

 エネルギーは減衰するという法則にもかかわらず気の遠くなるような距離を正確に回っているのです。

 

 クオーツより正確ということは何を意味するのでしょうか。人間より優れた時間管理のできる方が地球を動かしているという以外に説明がつかないのではないでしょうか。

 

 創造主、つまり神の存在を認める方が現実をよく説明できると思うのです。

 

 神は本当に存在するかは、大変重要な事柄であると思います。以前の私のように、「この時代に何が神だ」と一笑に付さないでいただきたいと思います。

 

(よくある質問の中の、「人間はだれが創ったのか」もご参照ください)